2013年のメッセージ「ある卒業生からのメール」

東京の大学で修士課程まで修め、有名食品メーカーに就職した卒業生I君からのメールの内容を紹介します。I君は京都の公立高校在学中に当教室で学びました。本人のメールでは他の生徒より出来が悪いように書いていますが、私の印象では決してそのような事はなく、あくまで本人の謙遜です。ただ、この学年は優秀な生徒が多かったのも事実です。

I君とは卒業後も時々交流があります。私が最初のメールの最後の部分に感動したことからこのメール交換をHPに載せさせていただきました。

【卒業生I君からのメール】

・・・・・・・・メールの前半は個人的な近況ですので省略します・・・・・・・・・

まだ小学2年生ですが、そろそろ娘の受験を検討しています。なにせ薄給ですので、今から塾費用、私学の授業費用を貯蓄しないと間に合わないので…(涙)。しかし、良い塾はないですね。どこもぱっとしない塾ばかりです。大手の塾をあたっているのですが、予備校的な授業スタイルで、どうも一人一人まで、面倒を見てくれそうになく、私が教えるほうが良いのじゃないかと思ってしまいました。ただ、小学生の算数は、方程式などを使えないため、メンドクサイし、図形問題も場数をこなさないと解けないような問題ばかりで、私が教えるにしても限界があります。  娘のことを考えていると、つくづく、「私は良い英語塾へ通っていたんだなぁ~」と思います。京都に居れば、娘は間違いなく、先生にお願いしたと思います。私が見る限り、娘は親に似て、あまり頭が良くないようなので、高望みせずに、元気に、素直に成長してくれれば、それで十分と考えるようになってきました。

【私からのメール】

・・・・・・・・省略・・・・・・・・・

日曜日に「お中元」届きました。本当にありがとうございます。ところで、I君からのメールで、最後の部分には感動しました。塾冥利に尽きると言いたいです。 I君の了解さえいただければ、「最後の段落」を私のホームページに載せさせていただきたいと思います。 既存の生徒に○○君の文章を是非読ませたいと思います。

【卒業生I君からの返信】(改行・強調は清水)

・・・・・・・・省略・・・・・・・・・

ご依頼の件、私のつたない文章ですが、お役に立てるなら、どうぞホームページでご使用ください。 私の推測ですが、おそらく多くの通塾中の塾生は、「清水英語特訓教室」の素晴らしさ、ありがたさは気づいていないと思います。「清水英語特訓教室」の良さを心底思うのは、卒業して、大学生や社会人になってからだと思います。

私の場合は、通塾期間は、とにかく宿題、予習に必死で取り組んでいて、そこまで認識できませんでした(しかし、そのおかげで、学校の成績および模試の結果が向上し、第一志望の筑波大学に合格できましたが。) 英語力をつけさせてもらうだけではなく、本当は「英語だけではなく、何事も自分で努力することが、真の社会人には大切である」ことを「清水英語特訓教室」で教えていただいたと認識するには、大学生や社会人になってからでした。

私の同窓生は、A君、B君、Cさんなど、私よりずっと優秀な方ばかりで、通塾期間は、上記のとおり、授業について行くだけで(彼らに迷惑をかけないように)一杯一杯で、そこまで頭が回りませんでした。先生に叱られた回数は、彼らより私の方がずっと多かったので、叱られるたびに、かなり凹みましたし、何度も気持ち的に追い込まれておりました。

ただ、私は、優秀な同窓生に初期能力に劣るが、私の能力で、「better」ではなく、常に「best」を尽くすように努力しました。「清水英語特訓教室」の真の狙いは、英語という科目をとおして、社会人として必要な「自分で努力すること」、「自己のbestを尽くすこと」を身につけることだと分かるには少々時間がかかります。しかし、大学生、社会人と年を経て行くにつれ、「清水英語特訓教室」で学んだ高校3年間が、人生において、いかに重要であったかを、認識する想いが強くなってきております。

優秀な塾生の中には、既にこの狙いを認識している方もいるでしょうが、全ての塾生がそうだとは限りません。私のように、大学生、社会人になって、認識する方もいらっしゃるかと思います。そのような方に、塾生の先輩として、「今の努力は決して無駄にはならない。今は、『結果が出る英語の塾』としか考えられないかもしれないが、塾を卒業して、大人になるにつれ、ただの英語塾でないことが、必ず分かる時が来る。」と言いたいです。

私は「better」ではなく、「best」を尽くすことが、いかに大切であるかが分かりました。人は仕事(社会生活)を通じて、自己実現し、人間性を高めることができると考えております。世界の現状を考慮すると、日本に生まれ、大学まで進学し、人並みの給料をもらえることは、とてつもなくエリートなのです。このような生活を送れるのは、世界人口のほんの一握りの人間であり、そういう意味ですごくエリートなのです。このようなエリートは、自己の能力を高めることにより、人類の可能性を広げ、世界の人々に、間接的または直接的に利益を還元すべき立場だと思います。「ノブレス・オブリージュ」という言葉を心がけ、実践する必要がある。そのためには、自己の能力で「best」を尽くすことだと思います。

「随処に主となる」という言葉がございます。いつどこにあっても、如何なる場合でも何ものにも束縛されず、主体性をもって真実の自己として行動し、力の限り生きていくならば、何ごとにおいても、いつ如何なるところにおいても、真実を把握出来、いかなる外界の渦に巻き込まれたり、翻弄されるようなことは無い。そのとき、その場になりきって余念なければ、そのまま真実の妙境涯(すべての境界線を取り除いた境地)であり自在の働きが出来るという意味だそうです。

会社でも、「あいつとは合わないから、あいつと業務が重ならない業務内容に変更して欲しい。」、「今の仕事は、やりたいことではないので、異動させて欲しい。」など、さまざまな不平を言う人もいます。しかし、外部環境のせいにしていては、一向に事態は変わりません。外部環境は自分でコントロールできません。それならば、「随処に主」となり、主体性を持って物事にあたり、bestを尽くせば、おのずと外部環境も動きだし、仕事も面白くなり、不平不満の影も薄くなります。

しかし、何をどう理解し間違えたのか、努力もろくにせずに、bestを尽くさないことまでも「No.1ではなく、オンリーワン」、「個性を生かす」とおっしゃる方がいらっしゃいます。本来のオンリーワンとは、自己の努力、bestを尽くしたことに裏打ちされ開花した能力、状態を意味するのであるにも関わらず、めいめいが好き勝手なことをする状態を、オンリーワンや個性と言う人がいます。

先日、娘の学校の懇談会に出席しましたが、担任の教師が「個性」を伸ばすことを心がけていると言っていました。私はどうもこの言葉が気にかかり、よほど「あなたの言う『個性』の定義を説明してほしい。」と言いそうになりました。 神奈川県の公立中学、高校は、京都の公立中学、高校とさほど変わらないようなので、娘には「人に聞く前に、まず辞書などで自分で調べる。それでも分からなかった時は、何をどのように調べたかを説明する。そのプロセスが大切なことだ。」と口酸っぱく言っておりますが、なかなか言うこと聞きませんね。我慢比べです(でも、私のほうが性格がねちっこいので、千回でも一万回言ってもへこたれません(笑))。

 

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